第1部 多摩技研の時代

第2章 経営基盤形成の時期(1960~1967)

YS-11旅客機

YS-11旅客機

1960. 8 戦後初の国産旅客機YS-11開発に参画

1957年にGHQによる航空機の製造禁止が全面解除されたことから、通産省と大手航空機メーカーに航空機開発の気運が高まった。同年5月には官民合同の「財団法人 輸送機設計研究協会」が設立され、小型旅客輸送機の仕様研究と基本設計が開始された。

その後、当社設立と同年の1959年6月に政府が60%、主要航空機関連企業が40%出資して半官半民の「日本航空機製造株式会社」が設立され、戦後初の国産小型旅客機YS-11の開発が本格的に開始されることになる。

当社においても、協力要請に基づいてこのプロジェクトへの参画を決定。7名のグループを編成し、即日、名古屋への出張勤務を開始することになった。

古渡事務所の室内風景

古渡事務所の室内風景

1962. 2 名古屋に事業所を開設

名古屋地区における事務所展開については、将来の事業展開を見越して会社設立前年、1958年8月に名古屋市中村区の社員住居に連絡事務所を設置したことに始まる。

名古屋では1960年以降、顧客との取引が急速に拡大し、それに応じて社員数も増加。このため、1962年2月に名古屋市中区古渡町(現在の「金山」に隣接)に本格的な事務所を構えるとともに、名古屋連絡事務所を「名古屋事務所」に格上げした。13m2程度の事務所は、製図台2台と事務机1台を置いて、最大でも4、5名しか執務できない小さなスペースだったが、同業他社に先駆けて本格的な活動の拠点を持ったことになり、社員から大きな期待が寄せられた。

1966. 7 名古屋にて製作部門スタート(設計製作一貫作業の始まり)

当時の事業内容は「図面そのものを納品する」という設計製図に特化された形態で、顧客の一部から「設計のみでなく、製作も含めた設計・製作一貫作業に対応し、完成品として納入できないか」との要望をいただくようになった。

社長 森實 千馬太は、製作部門の設置を決断。直ちに製作に関する協力先の調査・折衝を開始した。その結果、名古屋では1966年7月に、また、東京でも翌年に製作部門が発足し、東京、名古屋いずれも設計製作に対応できる体制が整い、事業の幅が広がることとなった。

当時の出来事

1960.11
アメリカ大統領にジョン・F・ケネディが当選、選挙で選ばれた大統領として史上最年少
1962. 8
YS-11初飛行に成功
1964.10
東海道新幹線・東京-大阪間営業運転開始
1964.10
アジア初となる東京オリンピック開催
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