第2部 タマディックの時代

第1章 新生「タマディック」旅立ちの時期(1990~1991)

ロゴタイプ

ロゴタイプ

1990. 1 「タマディック」に社名変更

創立30周年を機に、社名・シンボルマーク・ロゴタイプ・企業スローガン・コーポレートカラーなどCI(Corporate Identity)を一新して、1990年1月1日付で「タマディック」として再出発。

長年親しまれてきた旧社名「多摩技研」の「タマ」を踏襲し、さらに、技術開発を基幹事業とする当社のイメージを表す「the Technological Development of Infinite Creation」(限りなく創造的な技術の進歩)から「DIC」を選択して 「タマディック(TAMADIC)」とした。

モダンな外観の小牧事務所

モダンな外観の小牧事務所

1990. 1 小牧事務所開設

1990年1月16日、前年12月に待望の自社ビルとして竣工した小牧事務所の落成披露式が多数のご来賓と当社幹部および社員が参列して盛大に挙行された。

披露式で、社長 森實 敏は「決して大きくない事務所ではありますが、私どものような小さな企業にとりましては一大事業でございました。この事務所には社員の想い、願いが数多く込められております。玄関の自動ドア、展望エレベーターのような半円筒形の外観、屋上の運動広場、シャワールームや談話室としての和室の設置など、会社のイメージ向上に重点を置いて設計されたものであります」と挨拶した。

豊田事務所を開設したSKビル

豊田事務所を開設したSKビル

1990. 1 豊田事務所開設

「自動車産業の中心地、豊田地区に拠点を築きたい」との念願が実現し、豊田市曙町のSKビルに待望の「豊田事務所」を開設することとなり、1990年1月26日に当社幹部と豊田事業所所属の社員が参加して開所式を執り行なった。

社長 森實 敏は「この度、立派な事務所を開設できたことは会社全体の大きな喜びであります。何事もスタートが肝心です。これから、この豊田事務所を内容の伴ったいい事務所にするよう、全員の頑張りを期待しています」と激励した。

式典で挨拶する社長 森實 敏

式典で挨拶する社長 森實 敏

1990. 1 創立30周年・社名変更記念式典を挙行

会社創立30周年と、新生「タマディック」の旅立ちを記念した式典および祝宴が、東京と名古屋それぞれの地区ごとに開催された。 名古屋では1990年1月6日に、役員、役員OB、社員等330名が参加。東京では、1990年1月20日に会長 森實 千馬太以下120名が出席して、極めて盛大に開催された。

1990. 2 3DCAD(CATIA)導入
国分寺事務所開所式

国分寺事務所開所式

1990. 7 国分寺事務所開設

1987年に開設した八王子事務所が、その後社員数の増加に伴って手狭感が日増しに強くなり、事務所の拡張が課題となってきた。

この状況を受けて、東京都国分寺市南町に新たな事務所を確保し、1990年7月に「国分寺事務所」を開設した。

7月20日には当社幹部と八王子、日野、荻窪周辺に勤務する社員が出席して開所式を開催した。社長 森實 敏は「八王子に進出して、地域開拓の任を果たし、さらに発展して国分寺に移ることができました。この事務所をさらに発展させ事業所の規模にまで拡大する意気込みで最大限の努力を期待します」との励ましの言葉を述べた。

大江事務所を開設した菱興ビル南館

大江事務所を開設した菱興ビル南館

1991. 4 大江事務所開設

この当時、大江事業所は固定のお客さまとの取引がメインで、安定した受注に恵まれ名古屋事業本部の稼ぎ頭的な存在であったが、独自の事務所を持つ機会がなく名古屋事務所(現・名古屋南事務所)を拠点としていた。

一方で、新しいプロジェクトが開始されると長期にわたって頻繁なコンタクトが必要となり、かねてよりお客さまの近くに独自の拠点を構えることが熱望されていた。

このような背景のもとで、大江事務所開設が具体化した。入居したビルの立地は、取引先のどの部署にも徒歩数分以内という至近距離にあり、利便性に優れた事務所となった。

当時の出来事

1990.10
東西ドイツ統合、ドイツ連邦共和国が誕生
1991. 1
湾岸戦争勃発、国連多国籍軍がイラクを空爆
1991.12
ソビエト連邦が消滅、11の共和国による独立国家共同体設立
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