第1部 多摩技研の時代

第4章 成長の時期(1976~1984)

1977. 4 社員数が100人超え
1977. 6 種子島宇宙センターにて試験作業に参加

当社は宇宙開発関連事業には早い段階から参入していたが、新たに鹿児島県種子島の宇宙センターにおけるロケット打ち上げ技術支援作業にも参画することになった。1977年6月には、2名の技術者を同宇宙センターに長期出張させた。

この業務は、その後も規模を維持・拡大しながら現在も続いている。

完成した新社屋

完成した新社屋

1978. 7 名古屋事務所(現・名古屋南事務所)社屋竣工

1977年8月、自社ビル建設のため、名古屋市南区戸部町の土地を譲り受け、直ちに建設業者の選定・設計・見積もり・入札を行ない、同年10月に契約を締結。翌1978年1月に地鎮祭を挙行し自社ビル建設がスタートした。

その後、1978年7月に地上3階建ての社屋が竣工した。7月14日には、来賓ならびに当社関係者180余人が参列し、修祓式、落成披露式を開催。ここに待望の本格的な自社ビルが完成した。

20周年記念誌

20周年記念誌

1979. 9 会社創立20周年(社員数:164名、売上高:10億円)

社長 森實 千馬太が1957年に個人で設計事務所を開業し、1959年に株式会社多摩技研を創立して以来の歩みをまとめた「創立20周年記念誌」が1980年12月に編纂・発行され、主要客先関係者および全社員に配布された。

この記念誌には、20年間の会社の足跡の他に、森實 千馬太の人となりや創業理念なども記載され、社員や関係者にとって多摩技研の歴史を知るうえで極めて意義のあるものとなった。

新社長滝澤龍郎

新社長 滝澤 龍郎

1981. 1 社長交代

会社創立以来22年の長期にわたって社長を勤めてきた創業社長、森實 千馬太は、安定的な経営の目処がついたことから世代交代を決意。1981年1月に臨時株主総会を開催して、次のとおり経営トップの人事を行なった。

取締役会長 森實 千馬太 (前職:取締役社長)
取締役社長 滝澤 龍郎 (前職:取締役副社長)
専務取締役 森實 敏 (前職:取締役)

1983. 7 安城事務所開設

1982年末頃、お客さまから「多摩技研の作業を独立・集約するスペースを確保してもらえないか」と要請があり、早速具体的な検討と調査を開始した。1983年3月に愛知県安城市内の業者と土地・建物を多摩技研が一括借り上げすることで契約を締結し、4月に着工、7月に完成引き渡しを行なった。

『繁栄への機構』

『繁栄への機構』

1983.11 『繁栄への機構』を刊行

当社創業者で当時の取締役会長 森實 千馬太の起業精神・経営哲学・人生経験などに関する文章、そして、社内報「多摩ニュース」などに発表した折々の意見や感想などを収録した著書『繁栄への機構』が1983年11月に刊行された。

1984. 4 社員数が300人超え

社員数は1983年には200人を、1984年には300人を超えるなど、2年間で急激に増加した。

この時期は会社規模が飛躍的に拡大し、「小規模企業から中規模企業への脱皮」の実現に向けた基盤固めができた時期であるということができる。

創立25周年・祝宴の様子

創立25周年・祝宴の様子

1984. 8 創立25周年記念式典を挙行

1984年8月25日、全社員およびその家族270名が熱海に集い、創立25周年記念式典・祝宴が開催された。

式典は、会長 森實 千馬太、社長 滝澤 龍郎の挨拶、労働組合委員長の祝辞に続いて、永年勤続者表彰、特別功労者表彰を行なった後、専務取締役 森實 敏による「将来の発展に向けて」の決意表明で幕を閉じた。

夜には、全員参加の祝宴が盛大に催され、部署別の出し物による余興大会やホテルが主催したマジックショーなどで大いに盛り上がった。

当時の出来事

1978. 5
新東京国際空港(成田空港)開港
1979. 5
イギリスでマーガレット・サッチャー氏が先進国初の女性首相に
1981. 4
米・スペースシャトル初飛行成功
1983. 4
東京ディズニーランド開園
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